ラオス人民民主共和国について
About Lao People's Democratic Republic

ラオスってどんな国?と問われても答えに困ってしまう。アンコールワットのように壮大な遺跡があるわけでもなし、エメラルドグリーンの海が広がっているわけでもなし、タイのトムヤンクンのような名の知れた料理があるわけでもない。かつてはインドシナの戦火に巻き込まれ、今もまたアジアの経済危機の影響をストレートに受けたラオスは、海外からの経済援助に頼っている。しかし、その中で暮らす人々の心は常に豊かでほほ笑みを絶やさない。

 

慎ましさを抱えたラオス

原生林の中を大きく蛇行しながらメコン川は森の国ラオスを1,900kmに渡って流れる。全長4,350km、チベット高原に源を発し、次第に水かさを増したメコン川は、タイ・ラオス南部では川幅が14kmにも達する。さらにカンボジアを抜けて、ベトナムから南シナ海に注がれていく。

インドシナ半島にひっそりと存在するラオスは、中国、ミャンマー、タイ、カンボジア、ベトナムの5カ国と国境を接し、日本の本州ほどの広さを持つ内陸国である。熱帯性モンスーン気候に属し、雨季(5月〜9月)乾季(10月〜4月)の2つのシーズンに分かれる。

国土は236,800平方キロメートル。そのうちの約70%が高原や山岳地帯で、シェンクアーン県のプービア(ビア山)は国内最高峰(2,820m)である。

ラオスの人口は650万人(2015年現在)。そのうち約10%がビエンチャン特別市に集中している。民族も過半数を占めるラーオ族の他、モン族、ヤオ族、アカ族など多様であり、その数49ともいわれ、それぞれの民族が独自の文化を育んできた。民族は大きく分けると次の3つのグループになる。

低地ラオ人(ラーオルム):ラオス人口の70%を占め、メコン川流域の平地に住む。女性はシンを纏う。丘陵地ラオ人(ラーオトゥン):ラオス人口の20%を占める。標高400mから900mの山麓部に住む人々のこと。高地ラオ人(ラーオスーン):ラオス人口の10%を占める。標高900mを超える山岳地帯に住む。女性は膝丈位のスカートやズボンをはき、民族によっては、帽子をかぶっている。



ラオスが歴史に登場するのは

ラオスが歴史に登場するのは14世紀中頃。ラーンサーン王国(ラーンサーンとは百万頭の象という意味)がルアンパバーンに王都を定めた頃からである。

16世紀にラーンサーン王国は絶頂期を迎えた。その後ヨーロッパとの交易が行われイタリア人伝道師らに、ビエンチャンは当時の東南アジアでもっとも荘厳な町であると評された。18世紀にはいると王位争奪戦から、ラーンサーン王国はビエンチャン、ルアンパバーン、チャンパーサックの3つの国に分裂するが、その後1893年にはフランスのインドシナ連邦に編入され、ラーンサーン三国はラーオ族のラーオを複数形にしてラオスと呼ばれるようになる。

その後も、右派、中立派、左派の対立による抗争と、列強の介入により拡大するベトナムの内戦に巻き込まれ、政治的混乱の時代が続く。そして1975年12月、ラオス人民革命党の勝利により王制を廃止し、現在のラオス人民民主共和国を無血で樹立した。 

参考資料


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